小生は読書が趣味です。学生時代は難解な哲学書や世界文学などにも挑戦しましたが、最近ではもっぱら、投資本などのファイナンシャル・プランニング(FP)に関するものと、貧困やワーキングプアに関するルポルタージュを読んでいます。
少し前までは、フリーターやパラサイト・シングルを自由な労働や豊かな消費スタイルとして描く議論が多かったように思いますが(シングル・マザーですら「女性として勝ち組」と呼ばれていたと記憶しています)、いまや論調はがらりと変わりました。
D.K.シプラー『ワーキングプア』(森岡他訳、岩波書店)や、NHK取材班『ワーキングプア』(ポプラ社)はじめ、関連する書籍を開いてみると、「一生懸命働いているのに報われない」「明日に希望が持てない」「生活保護以下のくらしを余儀なくされる」といった言説ばかりが目に止まります。
ワーキングプアの人数については諸説あるようですが、いくら努力しても脱出できない、働いても報われない、という状況にある者が数百万人にも達しているとすれば、これは今日の資本主義社会そのものを揺るがす深刻な事態ではないでしょうか。
勤勉と節約によって成功への道が拓かれるという「資本主義のエートス」(M.ウェーバー)が損なわれることで、現在の格差社会は不公平であるばかりか不道徳でさえある、ということになってしまうからです。
しかも、ルポルタージュを読むとわかりますが、ワーキングプアへの転落は決して特殊な人々の問題ではなく、高学歴で高収入のサラリーマンも含めて、誰にでも起こりうることです。
小生のような30代の正規社員でも、会社の倒産やリストラは言うまでもなく、交通事故やうつ病、さらには痴漢冤罪によってすら、簡単に職を失い、思うように再就職できずに貧困に落ち込んでしまう、ということは十分に考えられます。また、生活費を補填するために軽い気持ちで利用した消費者金融の借金がとんでもない額になった、うっかり知人の連帯保証人になってしまい莫大な負債を背負ってしまったなど、落とし穴はいくらでもあります。
つまり、ワーキングプアに陥る原因は様々であり、必ずしも自己責任だけではないということです。言い換えれば、決して他人事ではない、ということです。(この世の春を謳歌するIT長者だって、株価急落や手形不渡でいつ転落するかわかりません。)
小生が貧困ものの書籍を読むのは、一社会人として日本社会のあり方に問題関心を抱くのみならず、それを自分自身の問題として認識しているからです。正規社員のなかには非正規を蔑視し嘲笑する人もいるかもしれませんが、勘違いも甚だしいと思います。
じつは、小生が「最低でも生活費2年分は預貯金等でもつべき」と強調するのは、中年男性の失業リスクを想定してのことです(木村剛氏の『投資戦略の発想法』アスコムでも大書されています)。本当は、「生活費10年分」といいたいところですが、そうすると投資による複利効果が得られないままに定年を迎えるので、最低2年分としているわけです。
ただ、自己防衛にも限界があります。やはり社会として、ワーキングプアから脱出する仕組みを整えるべきだと思いますが、日暮れて道遠しとの印象です。政府は「再チャレンジ」を強調しますが、雇用保険の基本手当や教育訓練給付は、他の先進国に比べて決して十分とはいえませんし、企業側の正社員採用も、もっぱら新卒ばかりです。そして、欧米のような職能給制ではないため、首尾よく再就職できた場合でも、収入ががた減りするのが通例です。
努力が正当に報われる社会をつくるのは簡単ではないでしょうが、国民一人ひとりが自分の問題として、しっかり考えてゆかねばならないと思います。
最近のコメント