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2008年7月

2008年7月24日 (木)

暑く長い夏

蒸し暑い日々が続いています。小生は毎日最寄り駅から職場まで15分ほど歩いていますが、シャツも下着もぐっしょり濡れて、ひどく不快です。ネクタイとジャケットの装着が必須でないことが、せめてもの救いでしょうか。

ただ、暑いからといって装いも振る舞いもラフでいると、たちまち下卑て不潔にみえるのが中年オヤジの悲しさ。せめて立ち居振る舞いだけでもしゃんとしたいものです。

というわけで、バルザック「歩き方の理論」から。(引用は山田登世子訳『風俗のパトロジー』新評論)

「ゆったりとした動作には必ず威厳がつきまとう。」(118頁)

「ぎくしゃくとせわしない動作は悪癖や育ちの悪さをうかがわせる。」(119頁)

「動物の動きが優美なのは、めざす目的に必要なだけの力しか決して使わないからである。」(139頁)

なるほどねー dog

2008年7月19日 (土)

無税生活?

只野範男『「無税」入門』を読んでみました。タイトルはやや刺激的ですが、要するに給与所得を事業所得の赤字で損益通算すればよいという、わりとオーソドックスな節税法を解説した本です。

面白かったのは、事業所得か雑所得かは認識の問題であり、税務署側も統一した基準で判定しているわけではないと紹介している部分です。たとえ税務署からお尋ねがきたとしても、脱税や所得隠しではないので、 修正申告で済むとのこと。

事業所得かどうかの判定が単に税務署の担当者の裁量できまるという話が本当だとすれば、課税の公平という観点から、問題があると思います。

しかし、税務署の対応以上に、「無税」という考え方自体に対して、小生には違和感があります。

たしかに、税の賦課や使途に注意を払うのは有権者として当然のことですし、その最初の一歩として、確定申告を自分で行い、あれこれ節税を工夫することも、意味があるとは思います。

ただ、教育、医療、福祉、また水道や公共交通など、採算がとれないけれど住民のくらしに欠かせないインフラや公共サービスもあるわけで、それらは税金で支えるしかありません。誰もが「無税」になれば、当然にそれらの事業は崩壊し、住民の生活も破綻します。

対して、みなが都市に住めばいいとの極論もありますが、混雑やCO2その他の「集積不利益」がひどくなるし、第一、農山漁村という後背地なしの「都市国家」というのは、長期的に成立しないと思います。

最近話題になることも多い、災害対策や環境保全(水、森林なども含む)、食料自給率向上などに取り組むには、どうしても農山漁村が必要でしょう。(もっとも、ボス政治家による地域支配で、無駄な公共投資が多いことも事実でしょうが。。。)

 

ともあれ、いろいろ考えさせられた本でした。

2008年7月16日 (水)

簿記2級

簿記2級の勉強を開始して2週間ほどになりますが・・・

 

かなーりややこしい!

 

です。

30代も後半になると記憶力が不安なので、工簿と商簿を毎日交互に勉強してますが、脳力の低下はそれだけではありません。記憶力以上に、情報処理や計算速度が著しく劣化しています。

ここ数日でも、商業簿記の銀行勘定調整表(3種類もある!)で怖気づいたり、工業簿記では材料元帳の記帳で混乱したり、すこし複雑になると、とたんに理解できなくなります。

おまけに、最新版にもかかわらず、使用中のテキストに具体的な処理が書かれておらず、簿記会計事典やネット情報に頼ることもしばしばです。

まぁ、別に『ドラゴン桜』のように試験に人生を賭けているわけではないので、脳みそに喝を入れるのも楽しみだと考えていますが

 

・・・自虐的かな coldsweats01

 

なお、材料の戻入は受入ではなく払出のマイナス項目(!)なので、元帳では払出欄に記入しつつ残高欄は増やすという、変則的な処理になるそうです。

2008年7月12日 (土)

女女格差

格差論の第一人者、橘木俊詔氏の『女女格差』を読みました。タイトルはセンセーショナルですが、公的な統計に基づいて慎重に分析をすすめており、中身は至って真面目です。

とはいえ、女性の格差を論じるわけですから、出身階層や学歴、所得のみならず、結婚と未婚、子供の有無、一般職と総合職、さらには美人と不美人に至るまで、多様な側面から検討がなされます。

とくに最期の項目など、若い女性には気になるところでしょうか。

分析結果については本書を読んでいただきたいのですが、小生が注目したいことは、著者が繰り返し個人の自由を強調し、特定の生き方を強要しないということです。

例えば、統計的分析の結果としては、専業主婦の方が子供が多いとか、女性は30代後半にもなると妥協して結婚するより未婚を選ぶとかいったことが、明らかにされます。

だからといって、少子化対策のために既婚女性は家に入れとか、「負け犬」を結婚させるべきだとか、そういったことは一切語られません。結婚や出産はあくまで個々人の自由であり、国家が口出しすべきではない、というのです。

「○○の品格」はじめ、女性論がともすると特定の生き方を強制し、ひいては男性にもそうした強制をする嫌いがあるように感じるだけに、好い印象を受けたわけです。(フェミニストからの批判を意識したのかもしれませんが。)

ところで、小生にとって一番興味を引いたのは、子供に関する部分です。

子供が社会全体の宝である、少なくとも将来の労働力や税・社会保障負担者という意味でそうである、という指摘は、まったく否定できません。(子供にとっては迷惑でしょうが。)

同時に、子供は親の「選択」の結果なのだから親の私的な財であり、自らの成長によって多年にわたり親に満足を与える耐久消費財である、という指摘もされています。

耐久消費財としての子供。うーん、どう考えるべきなのでしょう・・・ coldsweats01

(男は消耗品である、という議論をかつて読んだことはありますが)

2008年7月10日 (木)

ツァラトゥストラはこう言った

折を見てぽつりぽつりと『ツァラトゥストラはこう言った』を読み直しています。最初は職場で思うところあって手にしたのですが、氷上英広氏の翻訳がきわめて詩的で読みやすく、岩波文庫とは思えない(?)文体です。

解説をみると、あえて脚注は一切つけず、また口語訳聖書なども参考にしつつ日本語としての自然さを大切にされたそうですが、日頃哲学書を読まない素人からすれば、大変にありがたい試みです。

また、ニーチェ自身、詩ないし寓話としての文学作品的な装いを『ツァラトゥストラ』にもたせているので、そうした著者の意図を汲んだ点でも、名訳といえるのではないかと思います。

ようやく上巻(第1部、第2部)を読み終えたところで、クライマックスにはまだ達していませんが、印象に残った箇所をいくつか引用したいと思います。(カッコ内は引用、すべて岩波文庫版の上巻より)

「すべての書かれたもののなかで、わたしが愛するのは、血で書かれたものだけだ。血をもって書け。そうすればあなたは、血が精神だということを経験するだろう。」(62頁)

「大いなる魂たちのために、いまもなお自由な生活がひらかれている。まことに、物を持つことのすくない者は、それだけ心を奪われることもすくない。ささやかな貧しさは讃えられるべきかな!」(82頁)

「どんなに甘い女性でも、やはり苦いものだ。」(110頁)

「弱者が強者に仕えるのは、より弱い者に対して支配者になろうとする弱者の意志が、かれを説き伏せるのだ。このよろこびだけは、かれは捨てようと思わない。」(197頁)

まだまだあるのですが、今回はここまで。寝苦しい夜のお供にどうぞ。

2008年7月 7日 (月)

2008年上半期時点の投資成績

2008年上半期時点の投資成績(投資信託のみ、年利回りは算術平均)を計算しました。

    年利回り   資産配分
   国内株式      -16.4%      31.1%
   海外株式      -10.2%      28.4%
   国内債券        -0.3%        3.1%
   海外債券         4.6%      30.9%
   その他         8.4%        6.5%
   合計       -6.4%     100.0%
 *バランスファンドは各資産クラスに配分

この間の急激な円高やサブプライム危機を反映して、全体としては6%ほどのマイナスに終りましたが、債券型ファンドやその他(新興国ファンド等)のおかげで、予想外に軽症で済んだというのが実感です。

ただ、過去のリスク・リターン計算では、小生の資産配分では15%超のマイナスもありえます。それを覚悟のうえで、積み立てを継続する所存です。

もっとも、生活防衛資金を別に元本保証型金融商品(預貯金や個人向け国債等)で確保しているので、少々の損失は気にしていませんが。(むしろ物価上昇の方が気になりますね。)

なお、学資用の米ゼロクーポン債ですが、円建での直利回りで-2.5%。こちらも円高の影響を受けました。目下、第二子の学資用に、ユーロ建て割引債も交えつつ、買い増しを検討しているところです。

2008年7月 6日 (日)

人材価値は相場が決める?

遅ればせながら、三田紀房『エンゼルバンク』を読みました。

前作の『ドラゴン桜』もとても面白く、受験テクニックの部分では現役時代を思い出したりしましたが、本作では、仕事に悩むリーマンの転職問題が中心。おそらく20代後半が読者対象だとは思いますが、著者独特の鋭い(身も蓋もない?)言い回しは相変わらずで、転職限界年齢超えの小生にも楽しめました。

ネタバレにならない程度に、記憶に残った名言をいくつか。(カッコ内は引用)

「人の価値もそうです。自分で決めるんじゃないんです。決めるのは相場なんですよ」

「ちなみに30代半ばになって転職考えてる人、やめたほうがいいですよ。相場での価値はゼロですから」

人により事情は様々でしょうが、少なくとも小生のように、年齢的にも職業的にも転職のきかない人間には、よく納得できるセリフです。

かの本多静六も「職業の道楽化」や「四分の一天引き貯金」を強調していますが、人生を大過なくすごす秘訣は、宝くじや転職、起業といった一発逆転を夢見るのではなく、いまあるキャリアや資産(健康や人間関係も含む)を大切にすることに尽きるのかもしれません。

まぁ、医学部に受かるぐらいの頭でもあれば、また話は別なのかもしれませんが。(それでも体力が無いと卒後の激務に耐えられませんね)

2008年7月 3日 (木)

プロ倫を超えて

すこし古い本ですが、ゼリンスキー『働かないって、ワクワクしない?』を読みました。原題はThe Joy of Not Working(不労の喜び)で、勤労倫理に正面から挑戦した刺激的な本です。

ネット上ではアーリー・リタイアメントを賞賛するブログもよく見ますが、もし実際に仕事をしていなければ、「いい若い者が昼間からぶらぶらして」とか、「働かざるもの食うべからず」とか、あるいは「勤労の義務を定めた憲法に違反」とか、なんやかやと非難されるように思います。

実際、新聞記事などみると、働かない(働けない)息子とそれに業を煮やした親との悲惨な事件が後を絶ちません。

しかも、他者(家族も含む)からの非難以上に、むしろ自分で自分を攻撃するほうが、より深刻かもしれません。自己を蔑視し、あるいは無能感や無力感にとらわれることが、うつ病や不安神経症、行動障害などの原因になりうるからです。

働かないことを理由に、自分で自分を苛んでしまうのは、勤労の倫理を内面化しているからに他なりません。まさにウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の分析のとおりです。

ところが、ゼリンスキーの著書はこの勤労の倫理、さらには節約・節制・禁欲、時間の有効活用といった功利的な倫理を、ソクラテスやラッセルを持ち出して、正面から批判します。

曰く、(カッコ内はゼリンスキーからの引用)

「・・・ソクラテスはこう言っている。肉体労働者は他の人々と交流したり地域社会に貢献したりする時間がないため、悪い市民であり、友人としてのぞましくない、と。」(47頁)

「「怠惰賞賛」というエッセイの中で、ラッセルはこう書いている。「勤労のモラルは奴隷のモラルである。そして、現代社会に奴隷は必要ない。」」(51頁)

なるほど、勤労の倫理も一つの倫理(資本主義に適合的な倫理)に過ぎず、歴史を貫いて妥当するものではないようです。そう考えれば、仕事が生きがいの人を別として、無理に仕事を頑張る必要もなく、「停年までは手を抜いて」(知人のN先生)というスタンスで臨むぐらいが、健康や自己実現によいのかもしれません。

著者の言うとおり、特定の価値観で自己を犠牲にするのではなく、逆に人生を生き生きと楽しむために、自分なりの価値観を育み大切にすべきなのでしょう。そして、自分の価値観に沿って生きるときに、本当の意味で人生が「ワクワク」するのだと思います。

もっとも、 働かないと食えないのが「資本主義」の現実。同書では、「月収五百ドルで支出が四百九十九ドルなら、経済的に自立している」(284頁)とも言いますが、その「五百ドル」を得る方法が浮かばないから、みんな苦労しているわけなんですが。。。

2008年7月 1日 (火)

簿記再開

今年はあまり無理をしないと決めてますが、先月来の体調不良からようやく回復してきたので、少し気合を入れる意味で、簿記2級の勉強を始めることにしました。

本当は一気に社労士とか目指したいところですが、本業でも大変な仕事を複数抱えているので、短時間でもコツコツやれる簿記がベストだったという事情もあります。

ちょうど1年前に3級をとったので、商業簿記のほうは(かなり復習は要りますが)少し勉強すればできそうな印象ですが、工業簿記は全く初めてです。

外部取引の仕訳から、製造活動における内部取引の記帳へと一転するわけですから、最初っから立ち往生です。

そこで、じっくりとテキストを眺めてみたのですが、工業簿記の前半のキモは、勘定の連絡図を頭に描いて、製造原価を計算することです。それがきちんとできれば、各原価要素の詳細な仕訳、様々な原価計算方法、営業費など、より難しい後半部分もしっかり理解できるように思います。

それにしても、直接労務費と間接労務費を区別し、さらには本社や営業所員の給与を営業費として別に計算する手法は、なんだか、かの労働価値説を思い出させます。

商業簿記からは複式簿記の美しさを学べましたが、工業簿記からは「資本制的大工業」(K.マルクス)のしくみを学べるような気がします。(『蟹工船』の流行のせいかもしれませんね。。。)

そんなわけで、しばらく工業簿記にはまってみることにします。

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